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2009年1月

2009年1月31日 (土)

自殺と体罰

福岡市の中学生が自殺した問題で、自殺の直前にこの生徒が教師から体罰を受けていたことが報道されている。

この件に関して、詳細はわからないことが多い。だが、この時点で胆略的に体罰を否定したり、この教師を責めることはあってはならない。

報道によると、少なくともこの生徒は体罰によるケガはしておらず、自殺の原因になり得るレベルではなかった。本当にこの程度の体罰で自殺したのであれば、自殺の原因はこの生徒があまりにも打たれ弱すぎたことだったと言わざるを得ない。勝手な推測だが、この生徒は両親にすら殴られたことがなかったのではないだろうか。

そもそもこの体罰は、この生徒がいじめをしていたという情報を受けた先生が問い詰めて行ったのだという。もし、先生がいじめを防ぐためにこの程度の体罰をするのであれば、それは正しい。いじめが阻止されることで、救われる別の生徒が出るからだ。もし生徒がいじめをしていなかったのなら、間違っていたのは先生の判断であり、体罰そのものではない。

今回の問題がどういうケースにあたるのかはまだわからない。だが、わからない時点で、自殺の原因になるとして安易に体罰を否定する報道にならないことを願う。

2009年1月30日 (金)

裁判員制度とマスコミ2

東京・江東区のマンションで女性が殺害された事件は、公判で裁判員制度を意識してモニターに生々しい肉片の写真や、遺体切断時の再現画像を映し出したことでも話題になっている。

これについてテレビなどでは、「遺族や裁判員に負担だ」とか、「これで裁判員が冷静な判断ができるのか」とまた訳のわからないことを言っている。

遺族にとって負担なら、遺族はそれを見る、見ないを選択できるようにすればいい。裁判員に負担なら、裁判員制度をやめればいい。それだけのことだ。

裁判員制度が導入されることになったのは、司法の判断があまりにも一般市民の判断とかけ離れているため。この一般的な感覚を司法の場に反映させようというものだ。それなのに、市民を入れといて判断材料を与えないなんておかしいじゃないか。それなら、事実をろくに知らない人が裁くことになる。裁判員制度を導入しといて、残虐なものは見せないなどという選択はありえない。とんでもない話だ。

さらに、残虐な映像を見ると冷静に判断できないというのもおかしい。そもそも残虐なことなんだよ。殺人事件は。それに目を背け、文章だけで事実を確認し、犯人が反省する素振りだけを目の前で見て、それで判断することが冷静で正しいことなのかい? それじゃおかしいでしょ? ちゃんと事実を目でも確認して、そこに一般市民の常識を反映させるのがこの制度の目的でしょうが。

そもそも裁判員制度は、知識も判断力も定かでないイヤがっている市民を無理矢理法廷に連れてきて、裁かせるというとんでもない悪法。しかも、そのために殺人事件などの重要犯罪を三日間で裁くというのだ。これには何の異論も出さず、厳罰化につながりそうなことだけに疑問を投げかける。世論を自分たちの都合のいいように動かそうとしているとしか思えないね。

2009年1月28日 (水)

相撲は心が狭い

引退の危機と騒がれながら優勝した朝青龍。何だかんだ言われたが、やっぱり強かった。

しかし、朝青龍が強かろうが弱かろうが、あの態度は横綱としてふさわしくない。とくに、もうすっかりおなじみになったダメ押し。明らかに勝負ついてるのに何であんなことするんだろうねえ。

まあ、それはともかく、あれだけ「引退」と騒いでいたマスコミも、いざ優勝すると「復活」と大騒ぎ。相変わらず勝手だ。朝青龍が優勝を決めた日は、女子マラソンでも渋井選手が8年振りの優勝を飾った。どちらも「復活」が美談として語られた。

しかし、「復活」が美談なら、たかだか3場所休んだくらいですぐ「引退」に追いやろうとするマスコミや相撲協会って何なんだ? たった半年だよ? しかも原因はケガ。朝青龍は嫌いだが、これじゃいくらなんでもヒドすぎるとは思わないかい?

相撲は昔からそうだよね。貴乃花もそのせいでケガを押して無理矢理出場した結果、そこで選手生命は終わった。一年以上待てば、その間に実力をつけた力士と復活した横綱とで新旧対決なんかも見れて楽しいのに。何も8年待てとは言わないからさ、ケガの場合はゆっくり完治するまで待てばいいじゃん。そのほうが本人にとってもファンにとっても相撲界にとってもいいはずだ。

2009年1月22日 (木)

国会漢字テスト

国会で麻生首相に漢字テストをした民主党副代表の石井ナントカさんが国民から非難を浴びているらしいね。
そりゃあ、そうでしょう。「アイツは漢字が読めないからバカにしてやろう」って、小学生のいじめと同レベル。しかも、これをやったのが大の大人の、しかも「センセイ」などと呼ばれている国会議員の、しかも政権奪取しようとしている政党の副代表。さらに、その場所も「国権の最高機関」である国会なのである。あきれてものもいえない。

そりゃあ、一般国民のほうがよっぽど感覚がまともだ。本当にまともな政治家はどこにいるんだろうか。

それに、この漢字テストを面白おかしく大々的に報じるマスコミも問題だよね。ほとんど同罪じゃないの?

2009年1月19日 (月)

派遣切り報道について2

さいたま市が失業者対策として募集していた半年間の臨時職員100人の募集にたった8人しか応募がなかったらしい。

日比谷公園には500人来たんだっけ? どうもやっぱり、あそこに集まっていた人に同情する必要はなさそうな気がするね。集まっていた人も、直前に派遣切りにあった人は日雇いも含めて4割だったらしいし。

低賃金で貯蓄もない、住むところがない、3万人が派遣切りにあったとか、無責任な報道が垂れ流されたけど、臨時職員とはいえ、とりあえず食いつなぐために半年間という期間雇ってもらえるというのは決して短くはない。すくなくともこの話を放って置いて、国に支援を求めるのはおかしい。

一連の報道は、やっぱりマスコミの怠慢だったようだね。どうせ現場の記者はそんなこと知ってたんじゃないの?

2009年1月14日 (水)

一連の派遣切り報道について

派遣村など、派遣切りされた人達に関する報道には、何か釈然としないものを感じる。何か、かわいそう、政府はヒドい、みたいな報道ばっかりで、客観的な実証はほとんど行われていないように見える。

まず、いくら急に派遣を切られたからって、貯蓄も何もなく、いきなり路頭に迷うっていうのは、どうなんだろうねえ。「派遣は不安定」というのはわかりきっているのに、何の蓄えもせずに、「困った、困った」ってのはね。

すると、「給料が安すぎて貯蓄などする余裕はなかった」と報道される。だとすれば、それが労働基準法に抵触するんじゃないの? でも、会社をそれで訴えるという話は出ない。契約が残っているのに違法に切られたといって訴える話も聞こえない。ツラい話はすべてクビになった人の証言だけで、企業名の報道や企業に対する取材報道もない。メディアには、感情論ばっかりじゃなくて、客観的な報道をする義務があると思うんだけどねえ。

それに、国に頼るっていうのは、最後の最後の選択のはず。まず身内なり、友人なり、身を寄せるべきだ。

仕事だって、選ばなければあるはずだ。もちろん、すぐにとはいかないものもあるが、業種によっては人手が不足しているものもある。まずは、身内を頼り、トレーニングをして人材が不足している業界への転職を図る。プライドだの、好き嫌いだのは言っていられないはずだ。

普段から蓄えなどできない低賃金だったので貯蓄もなく、自分の故郷も身を寄せられる親戚もいないし、嫌いな仕事ですら雇ってもらえない。そういう人って、あの中にどれくらいいるんだろう。そういう人がいることはわかるけど、大部分は違うんじゃないかなっていう気がするよね。

テレビで交渉の様子を見ていても、政治色がないとも言えない。いずれにしてもメディアは、意図的か何なのかはしらないけど取材不足だよね。

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