宮崎県の東国原知事の「愛のムチ条例」発言。東京新聞はやっぱり大反対のようだ。他のメディアでも、識者ぶる人ほど反対っぽい気がするね。でも、一般の人は意外と賛成の人も多いんじゃないかな。
法的な実現性の話は置いといて、私はこの条例に大賛成。体罰は絶対に必要です。体罰はダメというのは、はっきり言って理想論。理想を追い求めるのはいいが、現実的な対応もきっちり取らないといけない。
体罰を否定する人は、言葉で言って理解させないといけないとか、それができない教師は指導力不足とかって主張するよね。中には体罰は絶対いけない!と、拒絶反応を示す人いる。だけど、教育で最も重要な役割を担うのは教師ではなく保護者。家庭でまもともしつけを受けていない子を、教師にどうにかしろといったところで無理なことだ。つまり、今の子供たち相手では、言葉で理解させるにも限界がある。それを教師の能力のせいにするのも間違いということ。いくら何を言ったところで無視されれば終わりだよ。
子供たちには、やってはいけないことがある。それをさせないための一番いいことは
①子供たち自ら「いけない」と理解してやらないこと。
次が、
②先生が「いけない」と教えて子供が従うこと。
逆に、最悪は
③先生が言っても理解してもらえず子供たちがやってしまい、その子自身や他の子に害が及ぶこと
である。体罰を禁止した場合の欠点は、②ができなかった場合、一気に最悪の③になってしまうということだ。ところが、ここで体罰という選択肢を加えると、
④子供は理解はしないが、ぶたれたくないのでやらない
というパターンが生まれる。これ自体は教育ではないかもしれない。しかし、一人か数人の問題児を発端として学級崩壊などを招くと、他の子にも教育ができなくなる。また、体罰で無謀な子供の行動を抑えることができれば、その結果、本人や周りが大ケガをせずに済むような事例も出てくるはずで、学校での「子供たちの安全を守る」という大事な役割も果たせることになる。これが、理想論だけではない「現実的対応」というものだ。最初は、「ぶたれたくないからやらない」でもいい。その間に、平行して理解できるよう、言葉でも指導を続ければいいのだ。
問題は、何をもって体罰か、何をもって暴力か、という判断だろう。私の基準は、感情でぶつか、ぶたないか。怒って手を出したら暴力だ。一息入れ、理性的に手を出し、適切な力で手を出せばそれは体罰。野球で尻をバットでなぐる「ケツバット」は、ケガのしにくい尻を「出せ」と命令して心構えをさせてから、指導者も力と場所を考えて殴っている。これぞまさに体罰だ。暴力ではない。
このように、必ず殴る直前に「どこを殴る」と予告して適度な力で手を出すこと。そうすれば、体罰として認めることはできるのではなかろうか。