昨日地裁で判決が出た長崎市長射殺事件。判決は求刑通り死刑となり、弁護側は即日控訴した。
はじめに断っておくが、私は厳罰主義者だ。身勝手な理由により尊い命を奪った者は更生する資格などなく、原則、死刑が妥当と考えている。その点、今回の判決は、それだけをみれば評価できる。しかし、・・・。
昨年12月に借金返済を巡るトラブルから、以前交際していた当時21歳の女性を絞殺した佐賀県の強盗殺人事件の地裁公判では、「動機に酌量の余地はなく、犯行は極めて悪質。改悛の情もない」のに、検察側の求刑は無期懲役(判決は7月8日)。神戸市の質店で2005年10月、経営者の男性(当時66歳)が殺害されて現金が奪われた強盗殺人事件の地裁公判でも、「体の不自由な被害者を何度も殴打するなど、犯行は冷酷」だったにもかかわらず、検察はやはり無期懲役(判決は6月30日)しか求刑していない。
2007年4月に静岡県で金銭の貸し借りを巡るトラブルから元暴力団員が当時26歳の男性を金属バットで殴り殺し、知人の男2人と遺体を山林に捨てた「短絡的で身勝手」な事件では、静岡地裁沼津支部の判決は懲役15年(求刑・懲役20年)。2007年9月、奈良市で無職女性(当時83歳)を殺害した75歳の男性被告は、「身勝手極まりない犯行」なのに懲役13年(求刑・懲役15年)だ。
このように、他の判例と比べると、明らかに今回の市長射殺事件は刑が重い。これは、市長のようなエラい人の命は、我々一般人の命よりも重いということではないか。
他の事例を見てみよう。
東京都渋谷区で2006年6月、「池田ゆう子クリニック」院長の大学生の長女が誘拐され、3億円が要求された事件。覚えている人も多いだろう。この事件の2人の被告は、地裁、高裁、最高裁のいずれにおいても求刑通り無期懲役が言い渡されている。この判決だけを考えれば、厳罰主義の私には文句はない。しかし、先に例を挙げた4つの殺人事件と比べてみてほしい。この誘拐事件では誰も殺されていないし、危害も加えられていないのに、上の4つの殺人事件と同等かそれ以上の刑が下されているのである。そうか、誘拐はそれぐらい悪いことなのか。しかし、2007年5月に三重県亀山市の女子中学生(15)を監禁し、身代金1000万円を要求した40歳の被告には津地裁で懲役7年(求刑・懲役10年)の判決しか下されていない。
やはり間違いなさそうだ。エラい人、有名な人、金持ち人の命や安全は、一般人のそれとは違うのだ。
長崎市長の射殺事件については、「選挙テロ」だとか「民主主義へのテロ」なんていってるが、それ自体が明らかにこじつけ。なぜなら、今回の殺人事件は、たまたま実行しやすかったから選挙運動中に起こっただけで、選挙を中止させたいとか、殺された市長の政治理念が気に入らないとか、対立候補を当選させたいとか、そういった目的ではないからである。そういった目的があってはじめてテロといえるんじゃないかな。これをテロというのなら、他の殺人事件だって、「自由社会へのテロ」とか、「無差別テロ」って言えるはず。死刑を合理的に見せるためにあえて使用した言葉にしか聞こえない。
人の命は尊い。だからこそ、身勝手な理由で人を殺めた人は、命で償ってもらうしかないと思っている。しかし、現実は一般人を1人殺したくらいでは死刑にはならない。殺人犯の命を一生懸命守ろうとしている。これは残念なことだ。
しかし、その殺人犯の命より重いのがエラい人の命。つまり、
エラい人の命 > 殺人犯の命 > 庶民の命
という式が成り立っている。悲しいがこれが現実だ。
繰り返すが、今回の判決が不当だと言っているのではない。他の殺人事件に関しても、同様に厳しく処罰してほしい。